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第二席 なみだ池


 「全然へんやーー!」とアリスは叫びました。……あんまりびっくりしたもんですさかい、まともな言葉になっておりません。「こんな伸びて、まるで史上最大の望遠鏡やん! 足さん、さいなら!」と、いいますのも、目を下へやって足を見ようとしたら、ほとんど見えへんようになっておりまして、まだまだ遠くへ行こうとしてるんですな。「足さんも可哀想に、誰が靴や靴下履かしてやるのやろ。うちには無理やな。あんたらになんかしたろ思ても、ものすごいしんどい目ぇせんならんし。あんじょうがんばりや――とはいうても、あの子らにも親切にしたらんとね。せんかったらうちの行きたいとこまで歩いて行ってくれへんようになるかも知れへんし。クリスマスには毎年一足、さらのブーツをプレゼントしよ」
 さてどないしてプレゼントしたもんか。「郵便屋さんに頼まんならんわ。そやけど自分の足にプレゼント贈るて、変な話やろなあ。それに宛名もけったいやろなあ

炉縁格子脇
 絨毯上ル
  アリスの右足様
  (アリスより愛を込めて)

もう、なんちうアホな事云うてんの!」
 云うております内に頭が天井にぶつかりました。もうこの時には九尺以上の大きさになってましてな、すぐに金の鍵を取りまして、庭へ行く戸まで急いで行きました。
 可哀想なもんでして、精一杯頑張っても、寝そべって片目で庭を覗き込むのがやっと。通り抜けるなんぞは今まで以上に望み薄です。アリスは座ってまた泣き出した。
「恥ずかしないの、あんたみたいな大きな子が」……ま、確かに大きな子ではありますな……「おいおい泣いてるやなんて。早よ泣きやみ!」とはいえ泣き続けることに変わりはなく、樽で量れるくらい涙を流しております。泣きやんだ頃には回りに大きな水たまりが出来てましてな、三寸ばかりも涙が溜まって、広間の半分近くが水浸しになっております。
 しばらくすると遠くからぱたぱたいう足音が聞こえて来ました。アリスは慌てて涙を拭いて何が来るんやろかと見ております。足音は白兎が戻って来たんですな。きれいにめかしこみまして、白い仔の革の手袋を片手に持って、もう片手には大きな扇子を持っております。兎は大急ぎで走ってきました。来るとぶつぶつ独り言を云うてる。「わあ、公妃様、公妃様! お待たせ申し上げてたとして、恐ろしいことにならんやろか!」二進も三進もゆかんもんで、アリスは誰でもええから助けて欲しいと思てたんですな。それで兎が寄ってきた時に遠慮がちに訊いてみたんです。「あのー、すみませんが……」兎は跳んで逃げまして、白い仔山羊革の手袋と扇子を落として、暗がりの中へとあらん限りの速さで逃げ込んでしまいました。
 アリスは扇子と手袋を拾いましてな、広間がえらい暑いもんですさかい扇ぎながらも喋っております。「なんとまぁ、今日は何から何まで変なことばっかり。昨日はいつも通りやってんけどなぁ。うち、寝てる間に変わってしもたんちゃうやろか。えーと。朝起きたときは、うち、今までと一緒やったかな。ちょっと、変な感じはしたな。ほんで、もしうちが今までと違てんのやったら、うち、一体誰なんやろ? 難問やわあ!」アリスは、知り合いで同い年の子供を全員、思い浮かべまして、その内の誰かに変わったんやろかと考え始めました。
「エイダやないのは確かやね。あの子は長い巻き毛やけどうちは巻き毛やあらへんもん。それに、メイベルとも絶対違う。うちは物知りやけどあの子は、そやねん、ほんま物知らずやねん。それに、あの子はあの子、うちはうち。それに――ああ、ややこしい! ちょっと試してみよ。今まで知ってたこと、今でもみんな知ってるやろか。えーと。四五・十二、四六・十三、四七――どないしょ、四の段ずっとやっても二十まで行かへん! でも、掛け算の九九なんか、大したことないわね。地理をやってみよ。ロンドンはパリの首都で、パリはローマの首都。ローマは――あかん、全然合うてへん。ほんまにメイベルになってしもたんや。『しばしも休まず――』を云うてみよ」アリスは、おさらいでやるみたいに膝の上で手を重ねまして、暗唱しはじめました。ところが、その声が嗄れた、変な声になってまして、その上、詩の文句も違てるんですわ――

   「しばしも休まず口打つ響き
    飛び散る水玉光る鱗
   尻尾を磨いてナイルの河で
    食事に精出す浦のワニは

   仔ワニは名高い食いしん坊よ
    にこにこ口開け満腹知らず
   きれいに開くと誇れる爪で
    魚を迎える彼が口よ」

「間違えてるー」可哀相にアリスはまた涙を浮かべましてな「メイベルになってしもたんや。これからは、あの狭い、ぼろぼろの家に行って住まなあかんねん。それにおもちゃもないんや。もう、その上ぎょうさん勉強もせなあかん。そや、こないしょ、決めた。もしうちがメイベルやったら、このままずっとここにおろ。上から覗き込んできて『上がっといでや』云うても無駄やからね。上向いて『ほしたら、うち、誰なん? それ先に云うて。その子になるのが気に入ったら上がるけど、そやなかったら、誰か他の子になるまで下におります』――ああ、そやけど!」急に涙が溢れてきまして「穴から覗き込んで来てえな! たったひとりでこんなとこおんの、厭や!」
 云うてる間に自分の手を見て驚いた。話ししてる間に兎の小さい仔山羊の革の手袋を着けてるやないですか。「どないやってはめたんやろ。また小さなったんやろか」と思いまして立ち上がり、テーブルの所へ行きました。テーブルで自分の背丈を測るんですな。できるだけしっかり見積もったところ、今では二尺くらいの大きさでして、その上すごい速さで縮んでいってる。これは、手に持ってる扇子のせいやとすぐに気がついて、慌てて放ってしまいます。もうちょっとで完全に縮みきって消えてしまうところでした。
「危機一髪やね」急に変わってしもたんで物凄く怖がってはおりますが、それでも自分がまだいてることに喜んでもおります。「さあ今度こそお庭に行かな!」あの小さい戸まで走って戻りましたが、ハイ、戸はまた閉まっておりまして、金の鍵は前みたいにテーブルの上にあります。「余計悪なってるやん」可哀相なもので「前はここまで小さなってなかったもん、絶対に! もー最悪!」
 云うております内に足が滑りまして、そのままバシャーン! 塩水に首まで浸かっておりました。最初に思たのは、海に落ちたんやないやろかということでした。「それやったら汽車で帰れるわ」と思たんですな。と、いいますのは、今までに一遍だけ海に行ったことがありまして、そこから考えるに、どこの海に行ったかて水浴機がぎょうさん水の中に入ってあって、子供はというと木のスコップで砂をほじくってる、海の家が並んでて、その後ろには汽車の駅があると思いこんでた訳です。とはいえアリスも、自分が九尺あった時に流した涙が池になって、そこへ落ち込んだんやとすぐに気が付きました。
「あんな泣かなんだらよかった」アリスは泳ぎながらも上がる所を探しています。「泣いた罰が当たったんや。自分が流した涙におぼれるやなんて。ほんま、変なことやねえ。そやけど、今日は何から何まで変やし」
 ちょうどその時でございます。池のちょっと離れたところでなにやら水のはねた音がしました。何なのか見てみよと、アリスは泳いで近くに寄りました。最初、そいつは海象か河馬に違いないと思たんですが、自分が今どれだけ小さいかと思い出しましてな。すぐにこれが鼠やと判ったんです。鼠も自分と同じように滑って落ちたんですな。
「鼠に話しかけても、何か役に立つやろか。ここに落ちてから何もかんも変なことばっかりやから、鼠が喋ってもおかしないと思うわ。どっちにしても話しかけて損はないやろ」
 ちうわけでやってみたんですな。「ネズミヨ、池から上がる方法を知ってはりませんか? 泳ぎ回るのもええ加減しんどなったんです。ネズミヨ!」……アリスは、ネズミにはこう話しかけるのがちゃんとしたやり方に違いないと思たんですな。今までこんなことしたことはないんですが、お兄さんのラテン語の文法の本を覗いたことを思い出したんです。本には「ネズミガ――ネズミノ――ネズミニ――ネズミヲ――ネズミヨ!」とあったんですな――。鼠はアリスの方を、ちょっと気をひかれたみたいに見まして、小さい片目でウィンクしたように見えました。でも何も云いません。
「多分、言葉が解らへんねやろな。ウィリアム征服王にフランスからひっついて来た鼠とちゃうかな」……歴史についての知識といいましても、知ってるだけのもんをかき集めたところで、どれくらい昔に何が起きたか、アリスにははっきり判っておりません。ともかくフランスから来たんやろということで、もう一度話しかけました。「ワガハイハ ネコデアル」……フランス語の教科書の最初に載ってた言葉なんですが、鼠はそれを聞いたとたん水から飛び上がりましてな、怖おうて震てるように見えました。
「あ、ごめんなさい!」慌ててアリスも叫びます。この可哀相な動物の気持ちを傷つけてはいかん。「猫がお好きやないのん、すっかり忘れてました」
「好きな筈ないやろ!」鼠も甲高い、感情的な声で叫びます。「あんたがわしやったら、猫を好きになるかえ?」
「そうですねぇ、多分、好きにならんと思います」とアリスはなだめるように云います。「怒らんで下さいね。とはいうても、私の猫のダイナをお見せできたら。あの子を見てくれさえしたら、猫のことも気に入ってくれはるやろと思います。ほんま、静かな、ええ子なんですよ」池の中をゆっくりと泳ぎ回りながらも話し続けますが、半分は独り言になっております。「火の側で座って喉を鳴らしてるのが、ほんに可愛いて。前足を舐めたり顔を洗ろたり――それに抱っこしたらほん柔らいし、その上得意なのが鼠捕り――あちゃ、ごめんなさい!」またもや叫んでしまいます。今度は鼠も総毛立っております。それでアリスも鼠をほんまに怒らせてしもたんやと判りました。「お厭でしたら、私らの間であの子のことはもう話しせんときましょ」
「私らやて!」叫んでる鼠はというと、尻尾の先まで震えております。「まるでわしがそういう話をしたいみたいやないか! うちはな、先祖代々過去帳一切、猫が嫌いなんや。汚らしいて、卑しいて、品のない連中やないか! 猫てな名前、もう聞かさんでくれ」
「もう云いません!」慌てて話題を変えます。「それやったら――それやったら――犬はお好きですか?」鼠は答えません。アリスは話を続けようします。「うちの近くにかわいい小犬がおるんです。見てもらいたいわあ。小さな、目のくりくりしたテリアなんですよ。それに、そうそう、茶色の巻き毛が長うて。それに物を投げたら取ってくるんです。晩ごはんをおねだりする時には、ちんちんするんですよ。何でもできて――半分も思い出されへんのですけど――お百姓さんのとこの犬なんですよ。役に立つ犬や、百ポンドの値打ちがあるんやて飼い主は云うてます。イチコロでまとめて鼠を――しもた!」悲しそうな調子で叫びます。「また怒らせてしまいました?」鼠は一所懸命アリスから離れようと泳いで行ってしまいます。泳いで行くに連れ、池も大きく波立っています。
アリスは優しい声で呼びかけます。「鼠さん、戻ってきて下さいな。お厭でしたら猫の話も犬の話もしませんから」鼠はその声を聞くと回れ右してアリスのところまで泳いで戻って来ました。顔は真っ青になっておりまして……怒ってるんやろうとアリスは思いました……低い声で、その声も震えて「浜に上がろ。わしの身の上について話したるさかい。そしたらあんたも、なんでわしが猫と犬が嫌いか解るやろ」
もう水から上がる潮時です。鳥やら動物やらがはまって、池もいっぱいに混み合うております。アヒルにドードー、インコに鷲の子、他にも珍しい動物が何匹かおります。アリスが先に立って、みんな浜へと泳いで行きました。

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