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第四席 兎が小さいビルを送り込みます


 足音は、兎がゆっくり駆けながら戻って来た音でした。何ぞなくしたみたいに必死で見回しながらでしてな、ぶつぶつ独り言云うてるのが聞こえます。「公妃様! 公妃様! ああ、わしの手! わしの髭! 死罪になってまうがな。そら、鼬が鼬や、っちゅうくらい確かや! どこに落としてしもたんやろ?」扇子と白い仔山羊革の手袋を探してるんやとすぐに気がついたもんで、アリスは親切ですな、探したんです。ところがどこにも見えん。――池で泳いでからすっかり様子が変わったみたいで、大広間もガラスのテーブルも小さいドアも全く消えてしまっております。
 アリスが探し回ってますと、ほんすぐに兎はアリスに気がつきまして、怒った声で呼びかけます。「おい、メアリ・アン、こんなとこで何をしとる? すぐ家に戻って手袋と扇子を持って来るのや! 早よせんかいな!」あんまりびっくりしたもんですさかい、アリスはすぐ指さされた方へ走って行きました。人違いやて説明する間もあらばこそで。
「女子衆と間違うたんやね」走ってる間にも独り言を云うてます。「うちが誰や判ったらえらいびっくりするやろなあ! そやけど扇子と手袋は持ってったったほうがええわ――ちうか、見つかったら、やけど」云うてる間に小さい小綺麗な家に着きました。戸には真鍮の表札に「白井卯三吉」と彫ってます。アリスはノックせずに入って、急いで二階に上がりました。扇子と手袋見つける前にほんまもんのメアリ・アンに会うて、家ほり出されたたら困りますからな。
「傍(はた)から見たらけったいやろなあ。兎の使いをするやなんて! 今度はダイナに使いにやらされるんちゃうか!」アリスはどんなことになるか想像してみました。「『いとさん! こっちへおいなはれ。散歩に出ますさかい支度しなはれや』『ばあや、すぐ行くよって。そやけどダイナが帰って来るまで鼠の穴の番して、鼠が出て来(こ)えへんか見とかんならんの』まあそんなこと人間にさすようになったら、ダイナも家にいてられへんやろけど」
 その時には小さい、綺麗に片づいた部屋に入ってました。窓辺にテーブルがありまして、その上には、思たとおり扇子一本と白い仔山羊革の手袋が二三足ありました。扇子と手袋をとって部屋を出ようとした時、姿見の近くに瓶があるのが目につきました。今度は「ワテヲ飲ミナハレ」とかいた札は掛かっておりませんが、構わずコルクを抜きましてな、瓶を口にあてました。「何か食べたり飲んだりしたら、何ぞ面白いことが必ず起きる。この瓶やったら何が起きるか調べてみよ。また大きなったらええねんけど。こんな小さいままなん、ええ加減厭になってるし」
 効果てきめん、思たより早よ効きましてな、瓶の半分も開けんうちに頭が天井へ押しつけられてまして、屈まんと頸の骨が折れるとこでした。慌てて瓶を置きましてな、「もう充分やわ――これ以上大きならんかったらええねんけど。これやったら表に出られへん。あんなぎょうさん飲まなんだらよかった」
 残念! 時すでに遅しでございます。まだまだ大きなりまして、すぐに床に膝を着かんならんようになりました。少ししたらそれでも狭なりまして、アリスは寝そべって、戸に片っ方の肘をあてまして、反対の腕を首に回さんならんようになりました。まだ大きなるもんですさかい、残った場所は、っちうわけで手を窓から出しまして、片足を煙突に突っ込みます。「もう何が起きたかて、これ以上何もできへんわ。うち、どないなるねやろ?」
 ありがたいことに、魔法の瓶の効果もここまででして、これ以上は大きなりませんでした。とはいえ居心地はえらい悪い。それに部屋から出られる目はない。悲しい思たかて不思議はありません。
「家におった時のんがよかった」可哀想なもんで「こんなのべつ幕なしに大きなったり小さなったりせえへんし、鼠や兎に命令されることもなかったのに。ほんま、兎の穴なんか下りんかったらよかった。そやけど、そやけど、こんなんも、ちょっと、面白いのん違う? 何が起きたんやろねえ! お伽話読んでた時はこんなこと絶対に起きひんと思てたのに、今、うち、その中におるやん! うちのこと書いた本があってええと思うわ、ほんまに! 大きなったら自分で書いたろ。でも、もう大きなってるやんか」悲しい声で「よそではどうや知らんけど、ここでは、これ以上大きなる場所がないわ」
「ちうことは、や、今より年取るいうことはないんかな? それは救いやな、絶対にお婆さんになることはない、そやけどいっつも勉強してなあかん! わあ、そんなん厭や!」
「アホか、あんたは」自分で答えます。
「ここでどうやって勉強できるんよ? 自分のいてる場所もほとんどないし、教科書置く場所も全くないやないの!」
 そうこう続けております。自分で云うて自分で答える、ちゃんと話のやりとりになっておりますが、暫くすると外から声が聞こえましたんで、話をやめて聞き耳を立てます。
「メアリ・アン! メアリ・アン!」声が聞こえます。「今すぐ手袋を持ってくるのや!」それからパタパタパタ、階段から音が聞こえます。兎が自分を捜しに来たのやと判ったんで、アリスは震えてしまいましてな、家まで揺れてしまいます。今では自分が兎の千倍も大きいて、兎なんか怖るに足らんてなことは全く頭から飛んでおります。
 少しすると兎は戸のところまで上がってきまして、開けようとします。ところがこの戸、内開きでして、アリスの肘がきつうに当たってますもんですさかい、開けようとしても開きません。兎が独り言云うてるのがアリスに聞こえます。「ほな、回って窓から入ったろ」
「そうはいかんで!」アリスは思いまして、兎が窓の下まで来たのが聞こえたかと思うまで待ってから急に手を伸ばしましてな、空を掴んでみます。何を掴んだという訳ではないのですが、小さい悲鳴が上がって、落ちる音、それにガラスの割れる音が聞こえました。それで兎が胡瓜の苗床か何かその類のもんに落ちたんやな、と判ったんですな。
 次に怒った声が聞こえてきます――兎ですわ――「パット! パット! どこにいてるのや?」するとアリスの聞いたことない声がしまして「へえ、旦さん、ここにおりますでな。りんごを掘ってましたのや」
 「りんごを掘ってたとは、全く!」怒っとります「これ! こっちへ来て助け出さんかいな!」……またガラスの割れる音が聞こえます。
「さてと。パット、ちょっと教えてくれるか。窓にあるもん、あれは何や?」
「旦さん、『何や』て、あれは手だんがな」……この「手」ですけどな、「てーえ」という云い方でした。
「手だんがな、やと? このどあほが! あないな大きい手、見たことあるかえ? 窓を丸ごと塞いでるのやぞ!」
「確かに塞いどりますな。そやけど旦さん、手は手だんがな」
「まあそんなことはどうでもええ。とにかく、あれをどこぞへやってしまえ!」
 その後は長い間しーんとしました。時々、ぼそぼそとこんな声が聞こえるだけでした。「旦さん、わて、それあきまへんねや。そらもう、全く!」「云われた通りにするのや、この根性なし!」とうとうアリスはまた手を伸ばしましてな、もう一回空を掴んでみました。今度は小さい悲鳴が二回聞こえて、またガラスの割れる音が聞こえます。「胡瓜の苗床がぎょうさんあるねやなあ! 次は何をしよるやろか。窓から引っ張り出そかいうんやったら、ほんま、うまいこといって欲しいねんけどな。こんなとこにこれ以上おりたないもん」
 暫く待ってましたがこれ以上なにも聞こえません。とうとう小さい荷車のガタゴトいう音や、ようけ集まって喋ってる声が聞こえてきました。アリスに聞こえた声は「もう一挺の梯子はどこや? ――いや、わしは一挺しか持ってきてへん。ビルがもう一挺持ってきてる――ビル! こっちぃ持ってこんかいな!――ほれ、こいつを角へ立てかけて――ちゃうがな、その前に二挺繋がんと――高さが半分もないねやさかい――よっしゃ、これでええわ。細かいことは云いなや――ほれ、ビル! この縄を掴んでんねんで――屋根は大丈夫やな?――そのスレート緩んでるさかい気ぃつけや――うわあ、落ちてきた! 頭隠せ!」……ガシャーン! 大きい音がします――「おい、今の、誰がやったんや?――ビルとちゃうか――誰が煙突から下りる?――厭や、わしは厭やで! お前やらんかいな!――わしかていややがな!――ビルが下りたらええやろ――ほれ、ビル! 旦さんがお前に煙突から下りい、云うたはる!」
「いうことは、ビルが煙突から下りて来んならんのやね。全く、何でもビルに押しつけてるみたいやね! お給金いっぱい貰ても、ビルの代わりにはなりたないな。この暖炉、ほんま狭いな。そやけどちょっとくらいやったら蹴り上げられそうやわ!」
 足をなるたけ伸ばして煙突へ突っ込みます。それで小さい動物……どんな生き物なんかは判りませんでしたが……小さい動物が煙突の中でカサコソいう音がアリスの上、すぐそばまで来るまで待ってます。それから「これがビルやね」と云いながら鋭い一蹴り、あとは、何が起きるかと待っております。
 最初に聞こえたのは、みな声を合わして「わあ、ビルが飛んでいきよる!」次に兎の声だけで――「捕まえたれ、生け垣の側や!」それからしんとしましたが、その後は大騒ぎです――「頭上げたれ――ブランデーや――咽せささんようにな――どないや、気分は? 何が起きたんや? 云うてみ!」
 最後に弱い、キーキーいうような声が聞こえてきました……「これがビルや」とアリスは思いました……「へえ、ほとんど判りまへん――もう結構だ、すんまへん、だいぶ良うなりました――そやけど、あわ食うてますんで、うまいこと云えまへんわ。――判ってるのは、何ぞびっくり箱みたいに当たってきて、わたいが花火みたいに飛んでいった、っちうことですわ!」
「そんな感じやったわ!」回りが云うてます。
「家を燃やさんならんな!」兎の声です。アリスは声の限り叫びました「そんなことしてみ、ダイナけしかけたるさかいな!」
 すぐに死んだみたいに静まりかえります。アリスが思うには「次に何しよるやろ! 知恵があったら、屋根を剥がしてしまうとこやろけどね」少ししますと連中、また動き出しまして、アリスに兎が云うのが聞こえます「とりあえず荷車一杯もあったらええやろ」
「何が荷車一杯分やて?」とアリスは思いましたが、そんなに訝る時間もありませんでした。すぐに小石が雨霰とばかりに飛んできてまして、窓でパラパラ音を立ててます。内いくらかは顔を直撃しました。「やめささんと」独り言云うてから大声で「もう一回やろやなんて思わんほうがええんちゃう!」そういうと、まだ、死んだように静まりかえります。
 アリスが気がついて、ちょっと驚いたんですが、小石が床に落ちたときに全部小さいケーキに変わってます。それで、ひらめいたんですな。「このケーキを一つ食べたら、身体の大きさが変わる筈やわ。これ以上大きなることは多分出来へんから、絶対小さなると思う」
 そういう訳でケーキを一つ飲み込みましたところ、嬉しや、すぐに縮み始めました。戸から表へ出られるまで小さなったらすぐに家を飛び出します。表では小さい動物や鳥が群れをなして待ちかまえております。可哀想な小さいとかげのビルは真ん中で二匹のモルモットに抱えられてまして、瓶から何か飲まされてます。アリスが現れるや全員が向(むこ)て来ました。アリスは必死で逃げましたんで、すぐに安全な、深い森の中に来ておりました。
「最初にせんならんことは」と森の中を歩き回りながら独り言を云います。「もう一遍、ちゃんとした大きさまで大きなることやね。それから、あの綺麗な庭に行く道を探すことやわ。これが一番ええ考えや」
 疑いなしにええ考えのように思えました。ほんま簡単明瞭。難しいのは、どう取りかかってええやら全く考えが浮かばんということです。その上木の間で一所懸命見回しておりますと、小さい、鋭い吠え声が頭の上から聞こえてくるやないですか。アリスは慌てて見上げます。
 巨大な仔犬が大きな丸い眼でアリスを見下ろしています。その上、手を怖々伸ばしてアリスにさわろうとしてます。「おお、よしよし」宥めるようにアリスは云いまして、一所懸命仔犬に口笛を吹こうとします。とはいうもののその間、仔犬がお腹空かせてるかもしらんと思てえらい怖がってます。もし腹減らしてたら、どない宥めたかてぱくっといてまわれるわけですさかいな。
 自分でもほとんど解らんままに小さい棒の切れっ端を拾い上げまして、仔犬に差し出しました。仔犬はすぐに喜んで鳴きながら飛び上がりまして、棒へ突進して、棒をくわえて振り回そうとします。アリスは踏みつぶされんようにあざみの陰によけます。反対側からアリスが出て来ると犬はまた棒に突進して来まして、棒を取ろうと慌てたもんですから頭から転こんでしまいました。アリスは、まるで馬車馬で遊んでるみたいやと思いまして、しょっちゅう足で踏み潰されそうやと思うもんで、あざみの回りをまた走ってます。仔犬は棒に続けて短い突進を仕掛けます。ほんのちょっと前へ行ったかと思うとずっと退がって、その間中声を嗄らして吠えてます。とうとう離れたところに座り込みまして息を切らして、舌を口から出し、大きい眼も半分閉じてます。
 ええ機会や、逃げられると、アリスはすぐに飛び出しました。疲れ切って息の切れるまで走りました。仔犬の吠える声は遠くでかすかにしか聞こえません。
「そやけど、可愛いわんちゃんやったわ!」一休みとバターカップに凭れかかって、葉っぱで扇ぎながらアリスは云いました。「ほんま、芸教えたかったわ――うちが、ちゃんとした大きさやったら、やけど! しもた! 忘れるとこやった、もう一回大きならなあかんのやんか! ええと――どうないやったらええんかな? 何か食べるか飲むかせないかんと思うんやけど、大きい問題は「何を?」いうことやな」
 確かに大きな問題は「何を?」ということです。アリスは花や葉っぱを見回しましたが、ここでは食べたり飲んだりするのにちょうど合うもんがない。近くに大きい茸が生えてます。高さはアリスと同じくらいの。その下を見て、両端を見て、後ろを見た時、上に何があるか見た方がええと思いつきました。
 つま先立ちして茸の傘の端から覗きます。とたんに大きな青虫と眼が合いました。青虫は茸の上に座ってまして、腕を組んで長い水煙管を静かに吸うてます。アリスにも、他の何にも眼を留めたりはしておりません。

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