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ルイス・キャロルはロリコンか?


 キャロルに対する誤解の中でも、最たるものが「ルイス・キャロルはロリコンだった」という説だろう。特に日本では、中途半端に知っている人間ほどこういう誤解をしていることが多い(なぜ日本ではこういう誤解が広まったかという考察は別項参照)。しかし、この説がもてはやされたのはせいぜい1970年代までで、その時ですら必ずしも通説というようなものではなかった。当時、いやキャロルが亡くなってから1990年代後半まで約100年に亘り、キャロルは「大人の女性と付き合うことはあまりなく、少女を愛していた」、しかし「少女への愛情は、決して恋愛感情や性的な感情ではなかった」というイメージで語られてきた。そして、なんでも性欲で解釈する俗流フロイト風の解釈から「キャロルはロリコンだった」という説が出てきたわけだ。つまり、通説では、確かにキャロルは少女を愛していたものの変質者的なものとはほど遠い、ということであった。モートン・N ・コーエンの伝記も、こういった流れの上で書かれている。ところが、1990年代も終わりに入ったころから、新たな説が出てきた。それは、「キャロルは少女を愛していた」ということ自体を疑問視する説である。
 1999年にイギリスのジャーナリストで研究家のキャロライン・リーチがIn the Shadow of the Dreamchildという本を出した。この中で、リーチはキャロルが少女愛者であるという「通説」が、実は全くの神話に過ぎないと書いたのだ。リーチ自身は最終的な結論としてキャロルがリデル夫人と、一種の愛人関係にあったのではないかと推理しており、その結論を含めて一時期論争になった。「リデル夫人の愛人」説を導く部分には、論に強引さもあり、100%肯定できる内容とはいえないが、その前段としての、少女愛者としてのキャロル像の破壊は、説得力も充分にあるものであった。そして、最近の研究ではキャロルはごくごく普通の人間であったという説が通説になりつつある。
 現在、ルイス・キャロルの日記を編集・翻刻し、詳細な註を附しているイギリスの研究家エドワード・ウェイクリングも、キャロルの日記を読み解いていった結果、キャロルが少女にしか興味を示さなかったという「通説」を神話であると切り捨てている。アメリカでキャロルの写真について研究しているダグラス・R・ニッケルも少女愛者であるという説に異を唱えている。そして、2002年にアメリカで出たキャロルの伝記Lewis Carroll: Through the Looking Glass(アンジェラ・シャーリー・カーペンター著)でも、キャロルが少女愛者であるというのが神話に過ぎないということを前提に、なぜこういった誤解が広まったかを論じている。この伝記はアメリカでは学校図書館におかれるタイプの本なので、評論や論文とは違って、広く妥当性が認められた説を記載していると考えてよい。

 実際、よく知られているキャロルの伝記的事実を見ても、キャロルが大人の女性に興味を示さなかったとはとても思えないのだ。キャロルの友人であり、一説にはキャロルが恋していたともいわれる女優エレン・テリーだが、キャロルがエレンと知り合った時には、既にエレンは結婚している。そして離婚し再婚した後も、ずっと友情が続いているのだ。これだけなら例外といえるかも知れない。しかし、他にもキャロルと友人関係にあった大人の女性は少なくない。
 女流作家でもあるイーディス・シュートは、キャロルの親しい友人の妻として彼と知り合い、未亡人となった後も交際が続いている。また、『子供部屋のアリス』の表紙絵やThree Sunsetsの挿絵を担当した女流画家E. ガートルード・トムスンもまた、大人の女性としてキャロルと知り合い、キャロルの生涯を通じた友人となった。ガートルード・トムスンの場合、回想で、キャロルと二人で劇場に行った時に、劇場スタッフから「ミセス・ドジスンと間違われた」という証言を残している。
 キャロルが子供好きであったのは事実であるが、キャロル自身が「子供友達(child-firiend)」――よく、日本語で「少女友達」と訳されることの多い言葉だが、非常に誤解を与える訳語である――と呼んでいる友人も、必ずしも子供だったというわけではない。キャロルはそういった子供達が成長した後でも、彼らを呼ぶのに「子供友達」という言葉を使っているのだ(時として、最初から大人を指して「子供友達」と呼ぶこともあった)。後に『ルイス・キャロルの想い出』を書いた子供友達の一人、イザ・ボウマンの場合、キャロルと最も親しい時期といえば18歳前後ということになる。当時のイギリスで18歳といえば充分に大人の年齢である。また、大人になってからもキャロルとの交際の続いていた子供友達は決して少ない数ではない。

 また、キャロルと少女との関係で、面白いエピソードがある。キャロルの弟ウィルフレッドが、キャロル自身も写真のモデルに使った少女アリス・ジェーン・ドンキンと恋に陥り、結婚しようとした。その時アリス・ドンキンは15歳、ウィルフレッドは28歳で、まだ独立できていなかった。この結婚はキャロルの反対に遭う。キャロルが結婚を許し、歓迎したのはアリスが20歳、ウィルフレッドが33歳になり定職を得てからだった。当時の結婚の同意年齢は13歳なので、法的には15歳の花嫁は問題はない。しかしキャロルはアリス・ドンキンが大人になり、弟が定職を得るまで結婚に反対していた(結婚自体に反対でなかったのは、ウィルフレッドが定職を得た後は結婚を許していることからも明らか)。ここでのキャロルの態度は、常識的な大人のそれである。

 キャロルがロリコンだったという説で、必ずといってよいほど引き合いに出されるのがアリス・リデルに求婚したというエピソードだ。キャロルが、まだ少女であるアリス・リデルに求婚し、それが原因でリデル家と疎遠になったというものだが、この「求婚伝説」自体、全く根拠のない説で、今ではほとんど見向きもされていない(これについては別項で詳しく紹介する)。
 もう一つ、キャロルが写真、特に少女のヌード写真を撮っていたことが取りざたされることも多い。しかし、ここで多くの人が「現代の視点で当時を見る」という、大きな間違いを犯しているのだ。当時のイギリスでは、少女のヌードは「純粋さ」の象徴として多くの写真家が好んで題材にしたものなのだ。同時代の写真家ジュリア・マーガレット・キャメロンにも少女や少年のヌード写真が多く残っている。もう一つ引き合いに出される、乞食娘に扮したアリスの写真であるが、これも、当時、テニスンの詩から採られた「乞食娘」というテーマが流行していたことを抜きにして語ることはできない。加えて、この写真が「お嬢さん」のアリスと「乞食娘」のアリスという、二枚で一組となったものである。同じモデルに、対照的な二つの姿をさせて二枚組にした写真、というのは、当時、よく使われた手法であり、その点を無視して一枚だけ取り出して論じるような議論は、乱暴なものであると断じないわけにはゆかない。
 求婚のエピソードや少女ヌード、乞食娘の写真を根拠にロリコン説を語ること自体に問題があるのだ。

 では、なぜキャロルが少女愛者であると誤解され、それがロリコンだというところまでイメージが歪んでしまったか、ここでLewis Carroll: Through the Looking Glassの考察を簡単に紹介しよう。
 まづ、キャロル自身がそういう印象を与えようとしていたということがある。大人の女性であっても、若い女性を「子供友達」と呼んだり、実際には男の子の友達もいたのに、男の子が嫌いだという風に見せたりしている。今と違い、当時にあっては独身の聖職者が大人に近いような少女や大人の女性と付き合いがある、ということが眉をひそめられる要因だったのだ。そして、キャロルの死後、甥のスチュワート・コリンウッドが伝記The Life and Letters of Lewis Carrollの中で「少女を愛する、変わり者の聖職者」というイメージを固めることになる。キャロルの遺族は、コリンウッドの伝記からキャロルのイメージが外れないように、その後1960年代に至るまで、キャロルの日記を公開していない。
 先に挙げたイザ・ボウマンも自身とキャロルのどちらにもスキャンダルになるのを畏れて、20歳近くまで交際のあったことを隠し、「小さな女の子と真面目な大学の先生」というイメージで回想録を書いている。
 ところが、1932年になって出た伝記で、キャロルの唯一の感情の表れが少女との友達関係で、キャロルは大人の女性とは付き合おうとしなかった、という意見が出てくる。そして1934年、Alice in Wonderland Psycho-analysedという論文が出る。この論文で著者のアンソニー・ゴールドシュミットがキャロルと少女達の関係をフロイト流の精神分析で解いたのだった。ただ、おそらくこの論文はパロディとして書かれたのであろうとのこと。ところが、今度はこれを本気にした伝記作家が出てきてしまった。ここで、少女が「純粋」を意味していたということが完全に忘れられてしまう。
 1945年に出た伝記The Life of Lewis Carroll (Victoria through the Looking-glass)で、作者のフロレンス・ベッカー・レノンは、キャロルは実はアリスを愛していて、アリスを失ったことから立ち直れなかったという説を立てたのだ(レノンについては、キャロルの「求婚伝説」にも一役買っている)。

 キャロルの少女愛者というイメージは、スキャンダルを避けたキャロルの遺族による善意の産物のフィクションであり、その後フロイト流の解釈からロリコン説が生まれた、ということのようである。

参考:
キャロライン・リーチIn the Shadow of the Dreamchild (1999)
アンジェラ・シャーリー・カーペンターLewis Carroll: Through the Looking Glass(2002)
西村光雄「E. L. Shuteを通してみたルイス・キャロル」第8回日本ルイス・キャロル協会研究大会発表(2002年)
中島俊郎「『乞食娘アリス』を読む」第8回日本ルイス・キャロル協会研究大会発表(2002年)


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