キャロルを巡る誤解のなかで、ロリコン説と双璧をなすのが「求婚伝説」だ。日本では角川文庫の解説で紹介されたため、多くの人が事実と信じることになってしまった。しかし、実際にはキャロルがアリス・リデルに求婚したということを裏付ける根拠はなにもない。
ここでは、まづ角川文庫の、福島正実による解説に書かれた「求婚伝説」を見てみよう。
(この作品を書くきっかけになったアリス・リデルに、ルイス・キャロルは結婚を申しこんでいます。アリスが十三歳、キャロルが三十歳の年です。この求婚は、アリスの両親によって拒否されたばかりか、彼らは、アリスに宛てたキャロルのおびただしかったであろう一切の手紙類をすべて焼却しています。もちろん、このスキャンダラスな話が世間に出ることを恐れたためです。)
一読してデタラメと判る内容である。キャロルが生まれたのが1832年、アリスが生まれたのが1852年、二人の年齢差はちょうど20歳である。つまり、アリスが13ならキャロルは33だし、キャロルが30ならアリスは10歳なのだ。この文に出ている、キャロルが30の年は1862年、この年の7月4日に『不思議の国のアリス』のもとになった話を聞かせることになった川遊びがあった。そして、アリスが13の年というのは1865年、これは『不思議の国のアリス』の初版が出された年になる。そういう点で、この年齢についてはどこから拾ってきたにしてもいい加減なものだとは云えよう。しかし、13歳という年齢には意味があるかも知れない。当時のイギリスでは、結婚の同意年齢は13歳だったのだ。つまり、相手の女性が13歳なら、結婚を申し込んだとしても非常識でもスキャンダラスでもない、ということなのだ。おそらく、福島が粉本とした本では、そういった推測から13歳という年齢を導き出し、それをそのまま引き写してしまったのが角川の解説だったのだろう。そして、この同意年齢の問題を無視し、現代の感覚で「少女に結婚を申し込んだ」と解釈し、スキャンダラスと書いたのではないか。
しかし、上に書いたように、仮に、この解説に書かれた内容通りの時期に求婚がなされたとすれば、その時期は1862年から1865年の間でなければならない。そして、まさにその点から、この角川文庫の説はデタラメであるとはっきりするのだ。なぜならこの時期は、まだ、キャロルが『不思議の国のアリス』で作家として知られる前に当たるからだ。『不思議の国のアリス』は、出版社の目にとまり、完全な企画出版として出されたものではなく、印刷費やテニエルへの報酬などをキャロルが負担した、半ば自費出版のような形でマクミラン社から発売された本である。この本が出た時には、職業作家としてのルイス・キャロルは誕生していないのだ(投稿作家としてはルイス・キャロルがいたわけだが)。キャロルにとって生活のための収入源は大学からの給与ということになる。そして、オクスフォード大でのキャロルの地位は「独身であること」が義務づけられていた。キャロルが結婚するということは、大学での職を捨てるということなのだ。自費出版で本を出すか出さないかという時期、作家として食べてゆけるかも判らない時期に、確実に職を失うことになる「結婚」を、キャロルが考える筈があるだろうか? 『不思議の国のアリス』がベストセラーになった後も、キャロルは大学を辞めていない。キャロルが大学を去る選択をしたとはとても思えない。
また、リデル家との確執であるが、忘れてはいけないのは、リデル学寮長とキャロルとは、リデル学寮長就任の時点から、大学における政治的立場が正反対だったということだ。大学改革に積極的であったリデル学寮長に対し、キャロルは常に保守的であり、対立していた。それでいながらも、キャロルはリデル家へ出入りしていた。何らかの事件があって、そのため確執が起きたのではなく、最初から対立していたけれども、私的な交流はあったということなのだ。その後、距離をおいたがために、対立の要素だけが目立ってしまい、「仲違いがあった」と見えてしまったのだ。
さて、「求婚伝説」では、普通、キャロルがアリスに求婚したのは1863年6月のこととされている。上記の事情で、1863年の時期に、相手が誰であれキャロルが結婚を考えたとは思えない。
では、なぜこういった「求婚伝説」が生まれたか、キャロライン・リーチのIn the Shadow of the Dreamchildの論考を紹介しよう。
そもそもこの求婚伝説のもとになったのは、1945年に出されたフロレンス・ベッカー・レノンによる伝記The Life of Lewis Carroll (Victoria through the Looking-glass)である。彼女はこの伝記を書くために1930年から取材を続けていたが、アリス本人にも会っておらず(アリスは会おうとしなかった)、ドジスン家の遺族も非協力的であっった。彼女はキャロルの日記も、ドジスン家に残っている書簡類も見せて貰っていない。ただ、キャロルの日記には女性と恋愛関係にあったという証拠がなにもない、という言葉だけであった。その上、彼女はキャロルの甥スチュワート・コリンウッドによる伝記The Life and Letters of Lewis Carollに出てくる「子供友達」の半分までが十代・二十代であったことも知らなかった。その結果レノンはキャロルをピーター・パンのように大人になるのを拒否した人間であると解釈したのだ。そこから出てくる結論としてキャロルが愛した、理想的な少女はアリスである、となる。レノンは取材に際しアリスの姉ロリーナにインタビューしているが、キャロルがアリスに求婚した証拠を探そうとしたことでロリーナを驚かせている。ロリーナは間違いだと訂正したが、無駄だったようだ。結局、レノンは伝記の中でキャロルがアリスに求婚したと、取材した人間が「示唆した」と書いてしまった。
同じ頃、やはりキャロルに関する本を書いていたアレグザンダー・テイラーも、著書The White Kinight (1952)で、7歳のアリスにキャロルは恋し、その成長を見ていたと書いた。しかし、やはりこれもドジスン家の協力もなく、全く根拠を欠いたままの見解を示した以上のものではなかった。
実に、キャロルの日記がドジスン家の手を離れて大英図書館に収められたのは1969年のことであり、その時には日記のうち数冊が失われ、途中のページが切り取られていた。遺族がキャロルについて不都合なことを隠すために、該当の日記を破棄したと云われている。
リーチの考察から明らかなように、求婚伝説自体が全く実体を伴ったものではなかったのだ。
では、上で挙げた1863年6月がどこから出てくるのか。大英図書館に収められた時、日記の一部が破棄されていたのだが、1863年6月27日の記述の途中から6月29日までの日記が鋏で切り取られていたのだ。そこから、遺族がキャロルに不都合な事件を隠したと想像されたわけだ。そして、この時期からキャロルとリデル家との仲が疎遠になる。先のレノンの伝記の記載と併せて「1863年の6月にキャロルはリデル家にアリスとの結婚を申し込み、拒否された。その後キャロルとリデル家との仲が疎遠になった」という説が出来上がったのだろう。これは求婚伝説を示すと同時にリデル家との不和についての解釈でもあった。先の福島正実の文との相似は明らかである。
今まで、リデル家とキャロルが疎遠になったのは、上昇志向の強いリデル夫人が、一介の数学講師に過ぎないキャロルが入り浸ることで娘の良縁を逃すのを嫌い、付き合いを断ったと云われていた。その決定的な事件が1863年の6月に起こったのだが、それを隠すためにキャロルの遺族が日記を切り取ったのだと。
さて、この失われた断片だが、1996年、上記キャロライン・リーチの発見により、何が書かれていたか今では判っている。現在進行中のキャロルの日記の翻刻The Lewis Carroll's Diaries(エドワード・ウェイクリング編)は、現存する日記9冊のうち7冊まで翻刻が完了しているが、1863年6月27日の鋏で切り取られた部分について、註で触れられている。この切り取られた部分の一部をドジスン家の遺族が書き取っていた紙が見つかったのだが、そこには、「LC(ルイス・キャロルのこと)はリデル夫人から、自分が子供達をダシにして家庭教師(ミス・プリケット)の気を惹こうとしているとか、イーナ(アリスの姉ロリーナのこと)に言い寄っているという噂があると知らされた」とあったとのことだ(第4巻 pp.214-215)。
キャロライン・リーチや、現在日記を翻刻・編集しているエドワード・ウェイクリングの説では、この時に噂を大きくしないためにキャロル、リデル夫人双方が合意の上で距離をおいた、という説を立てている。リデル家と疎遠になったのは、そもそも仲違いではなかったのだ。
日記の失われた断片に何が書かれていたか判明したことによる新説であり、充分に説得力のある説ではないだろうか。
参考:
キャロライン・リーチIn the Shadow of the Dreamchild (1999)
エドワード・ウェイクリング(編)The Lewis Carroll's Diaries vol.4 (1997)
(2003.8.16追記)
当初、1862年の段階でキャロルの父が亡くなっていたと記載していましたが、実際にはキャロルの父が亡くなったのは1868年でした(母の死と思い違いをしていました)。父の死に関する部分を削除しました。お詫びの上訂正します。