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訳題『不思議の国のアリス』の起源


 現在の日本では『不思議の国のアリス』という名前が定着しているが、ご存知のように原題はAlice's Adventures in Wonderlandであり、直訳すると『不思議の国でのアリスの冒険』となる。一般に使われている『不思議の国のアリス』は。海外でもよく使用される省略型Alice in Wonderlandの訳と考えられる。そして、その続編であるThrough the Looking-Glass and Whhat Alice Found There(略名(Alice) Through the Looking-Glass)を『鏡の国のアリス』と訳したセンスはすばらしいものがある。しかし、長谷川天渓による最初の『鏡の国のアリス』の翻訳が『鏡世界』であったように、当初は必ずしも『不思議の(鏡の)国のアリス』であったわけではない(現在でも『ルイス・キャロルの想い出』の翻訳では、Through the Looking-Glassの訳題として訳者は『鏡を通り抜けるアリス』をあてている)。では、いつ頃『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』と訳されたのだろうか。以下、門馬義幸「キャロルよもやま話」(日本ルイス・キャロル協会会報『MISCHMASCH』(4) 7-19, 2000)における論考を見てゆこう。
 明治32年に訳された『鏡世界』を始めとして、「須磨子」(永代静雄)の『アリス物語』(明治41年)、丸山英観『愛ちゃんの夢物語』(明治43年)、丹羽五郎『子供の夢』(明治44年)、楠山正雄『不思議の國』(大正9年)、鈴木三重吉『地中の世界』(大正10年)、鷲尾知治『ふしぎなお庭 まりちやんの夢の國旅行』(大正14年)、大戸喜一郎『不思議國めぐり』、そして芥川龍之介・菊池寛『アリス物語』(昭和2年)(以上、『不思議の国のアリス』)、西条八十『鏡國めぐり』(大正10年)、楠山正雄『鏡の國』(昭和2年)(以上、『鏡の国のアリス』)と続く。初期には訳題はバラバラであったわけだ。
『世界童話大系 第二十二巻 童話劇篇(四)』 では、最初に現在のような訳題が使われたのはいつか。意外なことに、実際に使われたのは『鏡の国のアリス』のほうが早い。昭和3年4月5日発行の『世界童話大系 第二十二巻 童話劇篇(四)』(左図)に収載された戯曲「鏡の國のアリス」(作・ガアステンパアグ)が、確認できる中でこの訳題の使用された最初の例である。この戯曲は、実際には『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』から作ったものである(キャロルも出てくる)。この戯曲の解説は、「『鏡の國のアリス』は有名な『アリス・イン・ワンダランド』を戯曲化したものゝ一つであるが、女流戯曲家のアリス・ガアステンパアグのそれを、その最も優れたものとして、こゝに收めた譯である」とある。その後『鏡の国のアリス』がThrough the Looking-Glassの訳題として使われたのは昭和23年の楠山正雄『鏡の国のアリス』が最初となる(西条八十が大正10年に雑誌『金の船』に連載した『鏡國めぐり』が昭和21年に単行本化されるが、この時の題名は『不思議の國』だった)。
 では、『不思議の国のアリス』の名前が最初に現れたのはいつか。現在判っているところでは、昭和5年に長沢才助訳・註になる『不思議の國のアリス』が最初ということになる*。『鏡の国のアリス』の訳題が使われた二年後である。長沢は昭和3年に『不思議國のアリス』を出しており(9月10日発行)、先述の『鏡の国のアリス』がヒントになり『不思議の国のアリス』改題されたと考えられる。なお、昭和4年には岩崎民平訳註で研究社から『不思議國のアリス』という訳題で出されている(この訳文については、現在も研究社の対訳本で読むことが可能である)。
 その後、語呂の良さと相俟って『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の訳題が一般化したものであろう。


[2003年3月29日附記]
*当初、長沢訳・註の『不思議の國のアリス』について、初出は昭和4年とされていた。門馬義幸「『不思議の国のアリス』書名再考」(日本ルイス・キャロル協会会報『MISCHMASCH』(6) 5-10, 2003)では、この問題が再度調査・考察されている。『不思議の國のアリス』となっていたのは、1993年「『不思議の国のアリス』展」カタログの表記であるが、資料提供者の原昌氏に問い合わせたところカタログの誤植であり、原氏所有の本の奥付では『不思議國のアリス』となっていた、とのこと。この長沢の本は門馬氏の知る限りでは昭和3年、4年、5年、7年、9年に出ているが、昭和3年に発行されたものが『不思議國のアリス』、昭和5年以降に発行されたものが『不思議の國のアリス』となっていることは確認されていた。今回の調査により、長沢訳『不思議の國のアリス』の題の初出が昭和5年版であることが確認された。これを参考に、長沢訳に関する部分について一部文章を修正した。

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