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初めて訳された『アリス』


 日本で最初に訳されたのは、意外に思われるかもしれないが『不思議の国のアリス』ではなく、『鏡の国のアリス』だった。訳者は長谷川天渓。明治32年、雑誌『少年世界』に『鏡世界』という題で第5巻第9号から第16号まで連載された。
 さて、この『鏡世界』だが、翻訳ではなく翻案ということで登場人物も日本名になっている。今、手持ちのコピーから拾ってみると、
 アリスが「美イちゃん」(美代)
 猫のダイナが母猫の「虎」
 キティが「黒」
 スノードロップが「白」
 チェスの駒については、単におもちゃとして書かれていて、チェスというゲームには触れられていない。この時代を考えるとチェスを説明なしで書くわけには行かなかったからであろうか。
 トゥイードルダムとトゥイードルディーが「太郎吉」「次郎吉」
 ハンプティ・ダンプティが「権兵衛」
 ヘアとハッタが「一助」と「二吉」しかもヘアは驢馬であることになっている。まあ、あのイラストは驢馬に見えなくもないが(ちなみに、挿し絵はテニエルの模写)。
そして、ライオンとユニコーンの、ユニコーンは「犀」と紹介されている。
 話はライオンとユニコーンが太鼓の音で追い出されたところで夢から覚めて幕、となっている。
 なお、この『鏡世界』の題の傍には「お伽噺」あるいは「西洋お伽噺」と記されている。つまり、登場人物の名前は日本名であっても、人物そのものは西洋人というわけ。だから、ハンプティ・ダンプティもとい権兵衛と美イちゃんが握手するところでは「西洋人同志(原文ママ)ですから手を握つて挨拶をするのです」と解説が入る。

 こういった翻案は大正の頃にも行われており、『金の船』大正10年に連載が始まった西条八十翻案の『鏡國めぐり』ではアリスは「あやちゃん」、キティが「三毛」、ダイナが「たま」となっている。ゲームは、チェスの代わりにトランプになっている(この翻訳も、「ライオンとユニコーン」のところで夢から覚めて幕になる)。
 ハンプティ・ダンプティの名前の訳が、なんと「丸長飯櫃左衛門」。確かに、これなら自分の名前の「意味」を答えられるに違いない。

なお、『鏡世界』では、ジャバーウォックの歌については、第一連だけが、こんな風に紹介されている。

   ジャツケルロツキー

ジャツケルロツキー ジャツケルロツキー
  ジャンジャン(原文は「く」のような形の繰り返し記号)
ジャツケルロツキー
荒波立てる
大海原を
風に漂ふ
木の葉の船に

 それで、そこから先は
「とまでは讀めましたけど、後は何だか好く解りません、美イちやんは種々(いろいろ)に考へては讀み、讀んでは考へて、やつと、ジャツケルローといふ兒が、ジャブジャブといふ恐ろしいお化を退治したと言(いふ)だけが解りましたが、……」
 となっている。当時、日本の子供にあのナンセンス詩を紹介する勇気はなかったのだろう、訳者も。当然、ハンプティ・ダンプティによる詩の解説もない。

 『鏡國めぐり』では、この詩は訳されていない。その代わりにハンプティ・ダンプティが「秋のおもひ」という詩

「もくせいのはやしのなかに
うたをきゝけふもさびしむ。

くろきつきこのまにいでて
ひかり、たいちをながる。

ああ、こひしや、ふるさと、
いづかたとおもひはるけし。」

 を解説すると「林の中で豚に喰いつかれて、どっちへ行ったら医者の所へいけるか見当もつかない」というような意味になってしまう。この辺のナンセンスのオリジナリティは結構笑える。

 当時、必ずしも日本名ではなく「アリス」と訳した例もあるが、それはまた時期を改めて紹介したい。

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